組合概要About

About組合概要

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名称 糸満漁業協同組合
住所 〒901-0361 沖縄県糸満市糸満603-6
TEL 098-992-2011
FAX 098-992-3592
代表者 東恩納 博

History糸満漁業の歴史

沖縄では、古くから漁業者のことをイチマナーと呼ぶことが多いように、漁業者の代名詞として糸満海人をさすことが普通である。
それは、往時の糸満の住民のほとんどが漁業者という沖縄では珍しい“純漁村”であったことや、その規模も全国的にみても大きかったことに理由がある。
明治初期の糸満の資料の中には、那覇、首里に次ぎ、漁村というだけでなく村落としても1、2を争う状況にあった。

漁村としての内容は、明治35年(1902)に漁業者数4,000人を数え、沖縄の漁業者10人の内6人は糸満で占められていた。
つまり、沖縄に占める地位が他府県に例がないほど経営体数、漁獲量、漁業種類等にも独占的な立場にあり、漁業技術の面からも卓越した存在であった。
このことは、県内各地の漁業に対して指導的な役割があったことと、分村(八重山や奄美等)という集落も大きかったこと。
また、県外出稼漁や海外出漁にみられる出漁範囲の広大さには、その漁法の特異さと共に世界でも稀な存在と考えられることなどである。

明治9年(1876)以降、欧米における貝類の需要によって採貝漁業(高瀬貝)が大きな比重を占め、
糸満漁業も沿岸の潜水漁業に依存する率が高くなったことである。
さらに明治17年(1884)には、潜水漁法では革命的な水中眼鏡<ミーカガン>が漁師によって発明され、相当に深いところまで潜ることが可能となった。

そして、明治23年(1890)頃に「アギヤー」という大型の追い込み網が考案され、その後、様々な改良がなされ、
網漁業を代表する糸満の代名詞にもなったアギヤーは、水深30~40mに生息するグルクン(タカサゴ)を対象に40~50人で操業するようになった。
漁場は慶良間諸島や久高島海域、さらには国頭郡の久志村、東村まで魚を求めて移動した。

<糸満市史より>

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